余人をもって代えがたい人間への道

「他人と替えのきかない人間になりたい」と感じている人が世の中にはたくさんいます。僕もその一人です。他人と替えがきかない人間になれないようでは、自分という人間がこの世に生まれてきた意味がない、と高校生くらいから考え始めました。しかし時を経るにつれて、「他人と替えがきかない人間」にも様々な次元があることが徐々にわかってきました。端的に言うと、僕が当初目指していた「世界規模で他人と替えがきかない人間」だけが「他人と替えがきかない人間」の到達点なのではなくて、「地域共同体の中で他人と替えがきかない人間」というのもひとつの立派な到達点だと考えるようになったのです。

当然のことですが世界規模で他人と替えがきかない人間を目指すのは極めて困難です。なぜなら世界の77億人を相手にしないといけないわけですから。世界の誰をとっても自分とは替えがきかないような仕方で、グローバル社会に貢献するというのは一般人にはほとんど不可能です。でも大学院生時代の僕は、それこそが目指すべき姿だと考え、英語で学術論文を執筆して国際的な学会誌に投稿し、世界を相手に存在感を示そうとしていました。実際僕のような駆け出し研究者がいくら学術論文を書いてみても、国際学会で研究発表してみても、取るに足らなすぎてまったくといっていいほど世界相手に存在感を示すことはできませんでした(当然ですけど)。世界相手に頑張っているという自己満足で終わってしまうのです(強い信念をもって努力し続ければ低い確率ではありますが本当に世界相手に存在感を示すこともできるのでしょうけど)。

でも、世界を相手にしなくても、地域共同体の中で「他人と替えのきかない人間」になるという選択肢もあるのです。というよりもむしろ地域共同体に照準を合わせたほうが、実際に人と人とのつながりを基盤としているため自己満足に終わりにくい。ご近所さんから必要とされているという揺るぎない感覚があれば、それは自己満足ではないわけです。どうすれば地域共同体で他人と替えのきかない人間になれるかと言うと、肩の力を抜いて、人とのつながりを重視する生活にシフトすれば良いのです。でも実はそれも簡単なことではありません。なぜならここ数十年の新自由主義の潮流に社会が飲み込まれてしまい、ミクロなレベルでの社会の分断が進んだからです。

普通に日常生活を送っているだけでも「他人と替えのきかない人間」になれるのではないかといぶかしがる人がいるかもしれません。ひとりひとりがかけがえのない存在なのに、なにをそんなに肩肘張っているのかと。それもそのとおりです。難しいことを考えることなく日常生活を送って、社会に貢献したり、自己承認欲を満たしたりできればそれが一番いいのです。でも、それでは気が済まない一種の傲慢な人間が存在することも確かでして、彼らは自分にしかできない仕方で社会に貢献しなければ自己承認欲を満たせないのです。

彼らが没自我の感覚に苦しめられているのは、宮台真司の言葉を借りて表現すると、過剰にシステム化された社会の奴隷になってしまっているという不安があるからです。よく宮台が例に挙げるのは、地元商店が大手スーパーに取って代わられてしまう過程です。店主ごとに色がでる地元商店とは違って、大手スーパーというのは徹底的にシステム管理されています。マニュアルにさえ従えれば、誰でも働くことができるというのがシステム化された大手スーパーの特徴です。誰が働いても変わらないし、働いている人間は個性を発揮しようがない。下手に個性を発揮すると扱いにくい従業員としてむしろ疎まれてしまいます。

当初私たちはシステムを利用する側だったはずなのに、いつのまにかシステムの奴隷と化してしまった。このシステムからの離脱を目指すことは、「他人と替えがきかない人間」を目指すというのと同義です。「他人と替えがきかない人間」を目指す人は、システム社会に抵抗する人のことです。ただ忘れてはいけないのは、私たちは生まれながらにしてこのシステム社会の構成員として組み込まれており、そこから多大なる恩恵を受けているということです。このシステムから完全に脱するのはほとんど不可能だし、賢明な判断とは言えません。

ではどうすればよいのでしょう。ここからはいくぶん空想的な話にならざるを得ませんが、システムを利用する側に回ればよいのです。そのために大切なのは、地域共同体を大切にすることだと思います。システム社会の肥大化とともに解体されてきた地域共同体にもう一度目を向け、地元での人とのつながりに基盤を置くような生活にシフトするのです。そしてシステム社会のいいところだけは利用する。空想的ではありますが、これが理想型です。

まずもって僕が脈所だと思うのは、自分のペースでできる仕事をすることです。これが脱システムのための一歩となる。決められた時間に出勤し、生命力を奪われるような仕事に従事し、疲れ切った状態で寝るためだけに家路につく。この奴隷状態から抜け出すことこそが脱システムだと思います。その上で、地域共同体に必要とされるような仕事に就けば、晴れて他人と替えのきかない人間になれるわけです。言うは易し行うは難しですが、強い信念を持って一歩踏み出してみれば、案外なんとかなるのではないでしょうか。