コロっと変わる理想像

お正月に実家にいると、隣家の3つほど歳下の幼馴染が挨拶に来てくれることがあります。昨年来てくれたときには、理想の生き方なんかについて思うままに語り合いました。今年も来てくれたので玄関先で話したのですが、1年前に自分が抱いていた理想の生き方と、今の自分が抱いている理想の生き方がずいぶんと変わったことに気が付きました。人間って1年間でこんなにも変わるんだなと、しみじみとしてしまいました。

 

昨年の僕が今後生きていく上で重視していきたいと考えていたものは、端的に「英語とプログラミング」でした。グローバル資本主義の潮流に乗り、世界中どこでも食っていける人間を目指そうと思っていたのです。そして実際に、2020年はプログラミングを貪るように勉強しました。公務員として働くのがどうしようもなく苦痛になったときに、労せず次の働き先が見つかるように、プログラミングの技能を養おうと考えたのです。こうした技能があれば、今の仕事に固執せずに済むので、精神的にも余裕が生まれます。

 

2020年に購入したプログラミング関連の参考書は10冊以上に及ぶと思います。そうした参考書を職場での昼休みにもマーカーを引いたり付箋を貼ったりしながら読み進め、ある分野においては素人とは言えないくらいの技能を身に着けました(UnityのML-AgentsをベースにしてC#でプログラムを書き、AIに強化学習をさせるという分野)。強化学習するはさみ将棋のシステムを構築したり、ボックス型の2つのエージェントを用意し、土俵の上で相撲を取るように強化学習させたりしました(AviUtlで動画を作ってYouTubeで公開なんかもしました)。これほどまでに本気でプログラミングに取り組んだのです。

 

でも1ヶ月ほど前に、ぱたりとプログラミングはやめてしまいました。大きな要因のひとつは、限界を感じたことです。自分でプログラミングを書くといっても、強化学習ニューラルネットワーク)のパッケージは誰かが作ってくれた既製品を使っています。この既製品を使いつつ、だれも目をつけていないニッチな分野を開拓していこうという思いで、はさみ将棋などのボードゲームの作成に取り組んでいたのですが、正直あまりうまくいきませんでした。僕のような素人にも使えるように強化学習のパッケージがあるのは大変ありがたかったのですが、それがボードゲーム強化学習には適していなかったのです。

 

これは実際に本腰を入れて取り組んでみないとわからないことだったので仕方ないのですが、そうと判明した後で、じゃあボードゲーム以外の強化学習をしようという気も起こらず、触らなくなってしまったという運びです(強化学習を題材にするYouTuberが結構いて、彼らのレベルの高さに圧倒されてしまったのも事実です)。とはいえ、プログラミングにがっつり触れることができたのはいい経験でした。

 

さて、ここまでは2020年の話ですが、うってかわって今の僕が重視しているものは何かというと、エッセンシャルワークです。医療、公共インフラ、一次産業、流通など、こうした社会に欠かすことのできない仕事を大切にしていかないといけないと思っています。僕がこういう風に考えるに至った背景には、やはりコロナ禍による社会の激変が挙げられます。コロナ禍により、エッセンシャルワークを蔑ろにしてきた日本社会の脆さが露呈しました。医療崩壊間近でも経済成長を優先する日本政府に、得も言われぬ絶望感を抱きました。今の自分は、日本という「沈みゆく船」に乗っているのだという実感を強く抱きました。

 

この「沈みゆく船」に乗っているとわかっていながら、それでも現状に惰性で身を任せ、残り少ない果実を貪り続けるのか、それとも自己を犠牲にしてでも「沈みゆく船」の補修にとりかかるのか。それは人々の倫理観、責任感に任せられていると思うのです。内田樹先生が斎藤幸平との対談の中で、「行動のきっかけになるのは「自分がやらなければ、誰がやる」というおのれの現実変成力についてのいささか妄想的な評価です。自分の運命と世界の運命はリンクしているという現実感覚がないと人はなかなか動き始めることができない」と述べていました。本当にその通りで、自分ひとりが「沈みゆく船」の補修に取り掛かったところでなんの意味もないと考えていてはいけないのです。

 

では何が船を沈没に向かわせているのでしょう。それは、行き過ぎた資本主義にあると思います。資本主義社会を立ち行かせるための絶対条件である経済成長の追求をほどほどにし、定常経済への移行が必要なのではないかと思います。そして、その定常経済の要になるのが、エッセンシャルワークです。このエッセンシャルワークを軽視し、経済成長を目指す社会の先に何があるでしょう。格差拡大や環境破壊は不可避で、将来世代を含めた多くの人が生活難に陥ることになると思います。

 

プログラミングを必死で勉強していたやつがいきなりエッセンシャルワークの必要性を説いても説得力がないと思われるかもしれません。しかし、プログラミングの勉強も、今の自分が「沈みゆく船」に乗っているという現実感覚があったからこそしていたことは事実です。今後自分が職務上「沈みゆく船」の皺寄せを不当に被らなければならなくなったとき、いつでも仕事を変えられるように勉強していたのです。今後職場で自分の意見を主張し続けたら、社会不適合者として不当な扱いを受けるかもしれない。そのときの危機管理として違う技能を身に着ける努力をしていたのです。ほんとに。というわけで2021年はエッセンシャルワーカーを理想像に据え(公務員も一応エッセンシャルワーカーだけど)、農業の勉強なんかをしていきたいと思います。あとは今後、現実変成力をつけるために、読書とものかきにも力を入れて、文章力の向上を図りたいと思います。