菅首相の言い間違えは無意識的願望の表出?

先日、緊急事態宣言を発出する府県を公表する場にて、菅首相が「福岡県」を「静岡県」と言い間違えました。しかもその間違いに首相自身がその場で気付くことはありませんでした。もっとも重要な情報である対象地域を言い間違えたことで、危機感の欠落を批判される事態に陥りましたが、批判されて当然だと思います。僕が気になるのは、これがただの言い間違えだったのだろうか、という点です。

フロイトを引くまでもなく、言い間違えというのは無意識的な願望の表出である場合があります。たとえば、彼女の名前を呼ぼうとして元カノの名前を口にしてしまった、というのは典型的なパターンです。言い間違えた本人もなぜ間違えたのだかわからないし、菅首相のように間違えたことに気が付かない場合すらあります。こうした現象は無意識の為せるところです。本人は元カノのことなんて忘れたつもりでいても実は頭の片隅に残っていて、ちょっとした拍子にそれが口を衝いて出てくるのです。ちなみに、元カノのことを思い出してはいけないという抑圧的な感情が強いほど、こうした言い間違いは起こりやすくなります。

何が言いたいかというと、菅首相の言い間違えも無意識的な願望の表出なのではないか、ということです。でも首相には静岡県に緊急事態宣言を出したい願望などあるのでしょうか。静岡県に関して、無意識的に抑圧しているような苦い思い出などあるのでしょうか。あるとすればそれは、昨年秋ごろの川勝県知事の発言だと思います。川勝知事は日本学術会議の任命拒否問題を巡って、「教養レベルが図らずも露見した」と痛烈に菅首相を批判しました。この発言の適否にはここでは触れませんが、もしかしたら菅首相は学歴をけなされたことを無意識のうちにでも根に持っており、それが言い間違えというかたちで表出したのかもしれないと思うわけです。憶測に過ぎませんが。